No.06 妙義山/2009年8月23日 |
2009年山行記一覧に戻る 今週の日曜日は、群馬県の妙義山(みょうぎさん)に行ってきました。 初めにいっておきますと、僕はこの山で5回は死ぬかと思いました。 そして、幾度となく引き返そうかと思いました・・・。 妙義山は、標高1104m。群馬県下仁田町・富岡市・安中市にまたがり、赤城山、榛名山と共に上毛三山の一つに数えられています。急勾配の斜面と尖った姿が特徴的で、九州の耶馬渓(やばけい)、四国の寒霞渓(かんかけい)とともに日本三大奇勝の一つとなっています。 妙義山はその険しさから、遭難事故や滑落事故が多い山です。僕はそんなことも知らずに、鎖場があるというだけで興味本位で妙義山を選びました。 また、山の登山口って高速道路を降りてから何十キロも一般道を走らなければいけないところもたくさんあって、それだと到着するまでに疲れてしまうので、高速インターを降りてから2kmで登山口に到着できる妙義山はとても行きやすかったのです。 まず、9時に現地到着して、妙義神社の参道へと進み、中間道(関東ふれあいの道)の登山口に到着しました。妙義山は、初級・中級・上級コースに分かれていて、僕が選んだ中間道は、中級向けコースでした。 天候は曇り。薄暗い森の中を歩いていくと・・・「熊に注意」の看板。あたりを見回しても誰も登ってくる気配はなし。僕はここで5分間悩みました。進むべきか、行くべきか。と、そのとき、一組のカップルが通りすがりました。よしよし、彼らについていけばなんとかなるだろう、と思い、僕も歩みを開始しました。 ところがその数分後、「熊出没中につき注意してください」の張り紙を見つけてしまう。ちょっと待ってくれ、熊出没中ってどういう意味だ?少なくとも最近になって熊が出没したということなんだろうか・・・。僕はここでも5分間悩む。ええい、ここまできたんだ、熊なんかに恐れてどうする!と思い、念のため買っておいた熊鈴をバッグの中から取り出し、鈴をチャランチャランと鳴らしながらまた歩き出した。 だが、もたもたしている間に先ほどみかけたカップルの姿はもうない。森の中はいつ熊がでてきてもおかしくないぐらいうっそうとした雰囲気をかもし出している。僕は少し足早に登り、先を急ぎます。ひとりなので精神的な不安で押しつぶされそうになる。あの角を曲がったところに熊がいたらどうしよう、そんなことばかりを考えながら進んでいく。 そしてようやく見えてきたのが、「第一見晴」。そこから見る景色は展望が開けていてきれいな景色だった。そこには、先ほどみかけたカップルがいて、僕は少し安心する。 だが、写真を撮っている間にまた遅れを取り、不安でいっぱいになりながら次の「第二見晴」へと向かう。ひとりで森の中を歩くことがこれほどまでに心細いことかを思い知った。 「第2見晴」に到着すると、また先ほどのカップルがいた。僕はまた安心した。よし、今度こそ彼らの後ろをついていくぞ・・・と思ったけど、第二見晴からの景色の方が良かったために、またもや写真を撮るのを夢中になり、彼らを見失ってしまう。その道中、道が草で生い茂っていて前に進めるのか進めないのかよくわからない道もでてくる。 そして、草にはトゲが生えている。道なき道を進めってか・・・もういいや、俺はここで引き返す!と思い、振り返ってしばらくして、いやいや、こんなところで負けてはダメだと思いなおし、スティッキで草薮を避けながら通り抜ける。 その後は、足を滑らせたらそのまま下まで落ちていきそうな細い道を歩き続け、暗い森の中を熊と遭遇するかもしれない恐怖と戦いながら前進していく。急な登り道ばかりで、もう汗だく状態だ。いや、汗だくなんていう表現で済ませてはならないだろう。まさに「滝汗」だった。 しばらくして見えてきたのは「本読みの僧」という表札。そこには驚愕の文字が書かれていた。「中間道の中間点」。まじかよ!もう随分と歩いてきたのに、まだ中間点!?気が狂いそうになった。だが、今きた道を引き返す気にはなれなかったので、しぶしぶ前へと進んでいく。 すると、休憩所が見えてきた。しかも、先ほどのカップルと、老夫婦が1組休んでいた。僕は一気にホッとした。助かったんだ・・・!(←まだなにもしてないのにw)。 そして僕は、もう彼らの後をピタづけしていこうと思い、後ろを歩いていたら老夫婦の女性のほうがバテはじめて、このペースでいくと僕が抜いてしまう。 彼らに挨拶をかけ、「この辺りは熊なんてでるんですかね~?」とおじいちゃんに聞いてみた。すると、「いやぁ、この辺は登山客が多いから熊なんてほとんど出ないよ、安心していいと思うよ」と言っていた。 僕は不思議に思った。「登山客が多い?どこが?」と。1~2時間近くあるいて出会った人はたったの4人。登山客がとても多いとは思えないんだけど・・・と思ったけど、そのおじいちゃんの言葉を聞いて、僕はかなりの安心感をもらった。 その老夫婦を追い抜いたあと、僕は自然と前に歩いているだろうカップルを追いかけなくなった。熊なんてでるわけがない。それにもし熊がでたときはもうしょうがない、あきらめよう。そんな気持ちが僕の心を支配しはじめてからは、僕はようやく自分のペースで歩き始めるようになり、先ほどよりもバテなくなってきた。歩くペースを乱されることが、こんなにも体力を消耗するものなんだということを思い知った。 そのまましばらく歩いていくと、今度は幅が狭くて、急な鉄階段が延々と続いている。まじかよ、こんなの登っていくのかよ。階段といえども、足場の面積はせまく、ちょっとでも足を滑らせたらそのまままっさかさまに下まで滑り落ちていくだろう。しかも、急登なので、後ろを振り返ると足がすくみそうになる。うう、帰りたいよぉ。弱音をはきそうになった。 階段をクリアすると、岩壁を削ったような道が続き、その岩の下をトラバースしていく。いま地震がきたら死ぬな・・・と思いながらゆっくりと前へと進んでいく。
この辺りから、どこから沸いてきたのかわからないけど、後ろからポツポツと僕を追い抜いていく登山客をみかけるようになる。僕の安心度はますます高まっていき、精神的なゆとりがうまれてきた。 そして、ようやく中間道の頂点にたどり着きました!!
岩壁の側面に鎖が打ち付けられていて、岩を這うようにしていかなければ先には進めないようになっていた。下は絶壁、落ちたら即死。はは、こんなの無理に決まってんじゃン、と思ってしばらく眺めてたら、若い女の子でも普通に鎖を使って登っていくではないか。 ええ、まじでいってんの?ええぃ、女の子にできて俺ができないわけがない。行ってやる!と決意し、とりあえず第一段階クリア。カメラ機材で荷物が激重な上に、よくぞここまで頑張った・・・と自分で自分をほめていたのもつかの間、第2段階は傾斜が80度ぐらいありそうな崖の上から鎖がつるされている。
そう思っていまきた道を引き返した。この帰りが恐怖だった。足を下ろす順番を間違え、次に足を下ろす場所が見当たらない。まずい、どうする。ええい、強引に飛ぶしかない。この鎖だけが唯一の命綱だ。傍からみたら僕はもっとも無様な方法でその岩を降りていたことだろう。だって、下は崖になっていて、落ちたら即死なのにそこで冷静にしろというほうが無理な話だ。 俺は腕力に負けて登れなかったんじゃない。荷物が重すぎて登れなかったわけでもない。ほんの少しの勇気と経験が足りなかっただけなんだ。悔しいが、そう思うことにした。 そして、先ほど頂上だと思ったところに戻ってみると、先ほどであったおじいちゃんが到着していた。「熊なんてでないよ」と教えてくれたおじいちゃんだ。僕はそのおじいちゃんに「向こうは90度近い崖をのぼっていかなきゃいけないので難しいと思いますよ~」なんて言ったら、そのおじいちゃんはなんと、鎖の使い方、登りかた、下り方を教えてくれた。 だが、僕はその教えを聞いても再度、挑戦しようという気が起きないほど気持ちは萎えていた。そのおじいちゃんは先へと進み、その90度傾斜の岩を登り、遠くのほうから「お~い、登ったぞ~」という声が聞こえてきた。う、うらやましい。あの頂上の上から写真を撮りたい・・・。 いや、待て待て、写真は命あってのものだ。崖から落ちたら元も子もない。俺は山に負けたんだ。またリベンジすればいいじゃないか。そう自分にいいきかせ、下山道を歩き始めた。雲がなくなりはじめ、雲間からは青空が顔を覗かせていた。 下山道で見えてきたのが、第四石門という大きな門だ。とてつもなくでかい。どうやってこんな岩ができたんだろうと思った。そこの門から見えたのは、先ほど登るのを諦めた大砲岩が見えていた。僕はその大砲岩に登る前の第一段階の岩で挫折したのだ。 妙義山は、今まで行った山とは違う雰囲気を持っていた。尖った岩がどことなく中国っぽい感じ。 とりあえず、遠目から大砲岩を撮って自分を満足させる。だが、ほんとは負けた気持ちでいっぱいだ。第四石門の近くで、地元の60歳代ぐらいのおじさんがいたので、下山の道を尋ねると、妙義神社に行くには戻ったほうが早いと言われた。だけど、同じ道を通るのはなんとなくイヤだったし、苦労してきたのを覚えているし、とにかく違う道を通りたかったから引き返すのはやめて先へと歩みを進めた。 そこで、今度は反対側から登ってきた50歳台の夫婦に出会う。彼らと挨拶を交わし、おじさんが「この先はトレッキングポールなんかを持っていたら登れないよ」と、アドバイスをくれた。 僕:「え!?もしやあの鎖場を登るのですか?」 おじさん:「そうだよ、迂回路もあるけど・・・地元のひとじゃないんだろ?だったら石門を登らなきゃ意味がないよ」 僕:「・・・」 おばさん:「前にあった鎖場は登れた?」 僕:「いえ、挫折しました。僕には登れませんでした。」 おばさん:「お父さん、一緒に登ってきてあげなよ。」 僕:「え!?無理です無理です。前にあったやつだって怖くて諦めたんですから。」 おばさん:「たぶん、ひとりだったから怖かったんだよ。わたしも付いていってあげるからいこうよ。でもその前にまずはそのカメラとポールをしまって身軽にしてね。」 僕:「(気がすすまないけど)あ、はい・・。わかりました。」 続けておばさんが、 「大学生ですか?」と聞いてきた。 なんと、まだ大学生でも通用するのかと思って少しうれしくなった。 おじさん:「まず、鎖場を登るには三点支持が基本だ。必ず三点を地面につけて登っていかなきゃだめだ」 僕:「(あ、そういえば本に書いてあったな・・・)なるほど~。」 おじさん:「このぐらいなら登れるだろ?」 僕:「あ、これなら先ほどのより傾斜がゆるいから大丈夫だと思います。」 おじさん:「じゃ、先にいくからついてきてね。」 そして、おじさんの後に僕が登り、その下をおばさんが登ってくる感じだった。僕はそのおばさんの勇気に敬意を表したい気分だった。だって、鎖場なんて登ったことがない僕が転落したら、巻き添えをくらうのは僕の下にいるおばさんだ。初めて会った僕を信頼しているとも思えないし、どういう神経をしているんだ? だが、逆にそのおばさんの行為は僕を必死にさせた。僕のミスでおばさんを巻き添えをくらわすわけにはいかないからだ。なんとしてでも生き延びてやる、僕はそんな決意を抱き始めた。もはや、写真を撮ることすら忘れていた。 そして、第二段階。今度は10mもあろうかと思われる鎖場で、傾斜も先ほどよりきつい。傾斜70度か80度ぐらいだろうか。目の前にたつとものすごい迫力だ。だが、行くしかない。 おじさんが鎖をまたぎ、上へと進み始めた。僕もおじさんを真似ながら上へと登っていく。道はだんだん狭くなり、僕の大きなザックが前へ進むのを邪魔するようになる。僕は強引にザックを引き寄せ、上へとあがっていく。足場をきちんと見ながら先へと進まないと、次の足がでなくなる。計算しながら登っていかなくてはならないのだ。 次第に腕が消耗し、緊張からか手のひらは汗をかきっぱなし。少し登っては汗を拭いての繰り返しだった。そして、ついに石門の頂上にきたかと思ったら、今度は反対側に80度ぐらいの急傾斜! 絶句した。ここを下るのか?絶壁だぞ?僕は死を覚悟した。遺言でも書いてくればよかったと思った。僕の後ろからは人が登ってくるからもう、引き返すことはできない。前に進むしか生き残る方法はないのだ。 僕はおじさんにならって下り始めた。登りのときよりも足場がしっかりしていて、下りやすい。お、意外と簡単だったな・・・と思ったところに現れたのが「カニのヨコバイ」。 下は見えないぐらいの崖。そこを鎖を頼りにカニのように横に進んでいかなければならない。 おじさん:「手だけは離すな。下をみるな」 おばさん:「力は入れちゃダメ。緊張で動けなくなって疲労して死んじゃった人もいるから。」 僕:「・・・」 通る前に恐ろしいことをいわないで欲しい。 だが、ここを行かなければ生きては帰れない。僕はクライマックスに緊張しながら岩場を横に歩いていく。腕力も使う。疲れる。なにより、心が落ち着かない。僕はなるべく下を見ないようにして、命からがら、カニのヨコバイをクリアした。 おじさん:「がんばったじゃないか、慣れると簡単なんだよー」 おばさん:「ここは私が小学生の頃の課外授業でこさせられるんだよー」 僕:「え!?小学生が?遠足で??ありえない・・・」 群馬県人の恐ろしさを垣間見たような気がした。こんなところを小学生が遠足でくるなんて、信じがたいことだ。地元の人はこういう山は慣れているんだなぁと思った。 カニのヨコバイのときは、足はなんともなかったが、クリアしたら自分の足がぶるぶる震えていることに気が付いた。とまらない。登っている最中に震えがこなくて良かった・・・。 この石門は、帰ってから調べてみたら、「第二石門」という石門だった。 その先は、ただ単に下るだけだったが、僕は妙義神社までいきたい旨を伝えると、 おばさん:「え!?妙義神社なら今きた道を引き返したほうが早いよ。」 僕:「・・・。もう無理です。いまの道を引き返すなんて・・・」 おばさん:「じゃぁ、おとうさん、私たちも下山しようよ。一緒についていってあげるよ。」 僕:「え?悪いですよ、僕ひとりで行けますから。」 おじさん:「うん、大丈夫。私たちも頂上までいったら帰ってくる予定だったから。」 僕はお言葉に甘えて、彼らと一緒に下山することにした。おじちゃんもおばちゃんもよくしゃべる人で、話していてすごく楽しい。さきほどまでの恐怖とはうってかわって、談笑しながら下山していった。 中之岳神社の近くの駐車場に到着すると、おばさんの車がおいてあり、なんと妙義神社まで送って言ってくれるとのことだった。悪いと思いながらも、親切に甘えて乗せてもらうことになった。ジグザグの道路をくねくねと走り、約10キロぐらい走っただろうか。 僕は乗せてもらってよかったと思った。登山道でもないこんなグネグネ道の道路をただひたすら歩いていたらきっとくたびれてしまっただろう。そのことをおばさんに伝えたら、 おばさん:「うん、そう思って車で連れてきたんだよ。登山道ならまだしも道路を歩いてもつまらないしねー」 なんてやさしいんだ、と僕は思った。 おじさん:「ところでこれから温泉にいくんだけど、どうする?」 僕:「あ、僕も温泉に行く予定だったんですが。」 おじさん:「あ、そうなんだ。じゃぁ、一緒に行こうよ。」 ということになって、道の駅のすぐそばにある、「もみじの湯」というところでくつろいできた。その温泉からの景色は絶景で、群馬全体が見渡せる。この方角には、筑波山が見えるときもあるんだ、なんてことも教えてくれた。写真中央に見える橋が、高速道路だ。 湯から出ると、おじさんと僕はその温泉のテラスで景色を堪能しながらゆっくりくつろいでいると、おばさんがあとからやってきて、また談笑が始まった。僕は妙な錯覚を覚えた。ふたりとも今日あったばかりの人たちなのに、まるで息子かのごとくやさしくしてくれる。田舎の人は心が温かい。心にゆとりを持っている。彼らから学ぶことも多いと思った。 しばらくして、おばさんがなにかを取りにいった。なにかと思ったら、おでんと味噌漬けのこんにゃく。なんと僕の分まで買ってきてくれたみたいだ。あまりの優しさに感動した。 おでんが最高にうまい。そして、味噌漬けのこんにゃくも最高にうまい・・・。そして、目の前は群馬の景色を一望。おばさんは、娘さんの大学の話をしきりにしていた。医療系の学科で、進級できないかもしれない娘をとても心配していた。おじさんは、「初めて会った人にそんなこと話したってしょうがないじゃないか」といいつつも、おばさんは、「だって誰かにきいてもらいたいんだもの」と言っていた。 カメラ好きな娘さんに、カメラを教えてあげて欲しい。そんなようなことも言われた。僕は最初、社交辞令でギャグなんだろうと思っていたが、どうもだんだんとそんな雰囲気に感じられなくなってきた。東京で勉強する娘を思う母親の気持ちが痛いほどに伝わってきた。「おばさん」という表現を使っているが、彼女は若い頃はきっと美人だったんだろうという面影を匂わせていた。 3人で話しながら、1時間半ぐらいくつろいだ後、おじさんは飲み会に行くということでその夫婦とはわかれることになった。おばさんは、連絡先を教えてくれた。携帯番号ばかりか、住所、氏名、家の電話番号、パソコンのアドレスまで、個人情報流出が問題となっている時代に、今日会ったばかりの身も知らぬ僕にこんなにこと細かく教えてくれるなんて、なんて心の透き通った人たちなんだろうと思った。僕も彼らの誠意に応え、写真のホームぺージのサイトと携帯番号、氏名をメモに書いて渡した。 別れ際、おばさんは最後に僕にこう言った。 「今日はすごく落ち込んでたの。おかげで元気になれました。どうもありがとう」 え!?落ち込んでた?とてもそんな風には見えなかった。 僕はあとから気づいた。おばさんはきっと、競争心のない娘が大学4年に進級できないかもしれない事態に落ち込んでいたのだろう、僕はそう判断した。 山を通じて、僕が彼らに励まされただけかと思っていたけど、僕も彼らを励ますことができていた、それを知っただけで僕はとても気持ちが暖かくなった。こんな僕でも誰かの役に立つことがあるんだ。僕がカニのヨコバイを通過したことが、もしかしたら彼らには大きな励みになったのかもしれない。 おばさんは、最後まで僕に「ありがとう。ありがとう」と何度も頭を下げていた。「いつかまた一緒に山登りしましょう。娘に写真を教えてあげてください」、そういっておばさんと別れた。どこまでが本気でどこまでが冗談なのかがわかりにくかったけど、きっと彼らのことだからまた会うことがあるのかもしれないと僕は思った。 別れが名残惜しかった。僕がせめて彼らにしてあげられることは、茨城名物と妙義山で撮った写真を送ってあげることだろう。中之岳神社の近くの駐車場から見た西の空は、夕焼け色に染まっていた。 妙義山はつらかったけど、とても楽しい思い出ができた。自然が好きだから、山が好きなもの同士だから通じあえるものがある。心を通わすことができる。自然は私たちに大きなゆとりを与えてくれる。山が好きな人はみんな良い人だ、そんな風に思っていてもおかしくないぐらいの二人に出会えたことは僕の記憶から一生、消え去ることはないだろう。 家に帰ってきてから僕は山に登る意味を考え始めた。山の景色を見ることは楽しい。写真を撮ることも楽しい。でも、それ以上に、山で出会うひとたちの一期一会が楽しくて僕は山に登り続けたいのかもしれない。 帰り道、高速道路は45キロの渋滞だった。後ろを振り返ると、妙義山のギザギザのシルエットと三日月が美しかった。 合流車線からは車が次々に強引に割り込んでくる。だが、その日の僕の心は妙に穏やかだった。どうぞ前に入ってください、そんな気持ちで彼らに道をゆずってあげた。 |